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囲碁定石論|定石を覚えると強くなる? 

級位者時代の定石学習について


 私(当サイト管理人)が最初に買った棋書は基本定石の解説本でした。3級時代に、実戦だけでは強くなれないと悟って勉強しようとしたものです。

 定石については「定石を覚えて二目弱くなり」という定石信奉者を皮肉った句が有名ですが、私の場合は幸い、弱くなることはなく、少しは効果があったようです。

 それは、その頃の私があまりにも石の形が悪く、しかも実利に偏った打ち方をしていたからです。地を囲ったつもりでもあちこちが味悪で、そこを相手にねらわれます。すると突如、戦いの碁に豹変し、敵の石を無理やり取ろうとして自滅することも少なくありませんでした。

 当時、基本定石から学んだのは、部分の正しい形を知ったことと、碁は交互に打っているので一方的にうまくいくことはない、適度な相場というものがある、ということです。

 とはいえ、「正しい形」の本当の意味を理解したのは有段者になってからのことです。また、定石は実利と厚みに分かれることが多いのですが、初段くらいまではどうしても実利を取ったほうが有利に見えたものです。時には、「白の厚みが強大で白よし」と書かれた変化図でも、隅の実利を取った黒のほうが得しているように感じ、納得がいきませんでした。厚みの価値がわからない段階では、定石学習の効果はかなり限定されるということです。

ツケノビ定石の隠れた手筋

 ところで、初めて教わる定石といえば、たいていの方は隅の星に対してケイマにカカってきたときのツケノビ定石ではないでしょうか。

 「ツケにはハネ」「ハネにはノビ」…というような一連の筋・形は辺や中央でも応用ができます。最初は「馬鹿の一つ覚え」のように覚えたての筋を使いたがる傾向が初・中級者には見られますが、それでいいのです。実戦でうまくいかないことに気がついた段階で、また別の打ち方を覚える。そうして碁が強くなるのですから…。

星のツケノビ定石からの参考図
 白1、3の出切りは無謀で、黒は4とアテてから、6とサガるのが手筋です。
 詳しくは初級囲碁講座「ツケノビ定石で覚える筋と形」で解説。
 右図 白1、3の出切りは無謀で、黒は4とアテてから、6とサガるのが手筋です。

 星のツケノビ定石では図のように、白が出切ってきたときの対策がないと黒は安心して打てません。定石は完成された型の手順を覚えることよりも、こうした枝葉の変化を学習することのほうが大切です。この図は白が無理で取られてしまうのですが、白のあらゆる抵抗にも対応できる対策を身につければ、おのずと手筋と読みの力がついてくるでしょう。

 定石は、古今の一流プロ棋士がしのぎを削って生み出した、部分の最善手です。定石の中には燦然と輝く手筋がたくさん詰まっています。これを学べることが定石学習の最大のメリットです。

定石は局面に応じた選択が重要


 
 定石を覚えても、あまり強くなれない。定石よりも死活の勉強のほうが大切だと気がついたのは、私が初段になってからです。

 死活や攻め合いなどの力がついてくると、厚みの意味がだんだんわかってきます。そして、実利と厚みに分かれる定石評価の解説にようやく合点がいくようになります。そのレベルになるとだいたい三段です。碁の才能に関係なく、実戦と勉強を重ねれば誰でもこの辺までは強くなれるはずです。

 私が再び定石に関する勉強をしたのは、三、四段の頃です。といっても定石の手順や変化を学ぶためではありません。定石選択の問題集に取り組んだのです。

 定石の選択では、相手がカカってきたときに、受ける、ハサむ、ツケる、の3通りの対応があります。他の隅や辺などの石の配置を見ながら、自分の構図を描くわけですが、途中でも双方にいくつかの分岐点があります。しかも同じハサむ手でも、時には一路の違いで好手にも悪手にもなったりします。

 「定石を覚えて2目弱くなる」のは、定石という道具の使い方を誤ったからです。その定石がどんな場合に使われるのかという布石理論を学んでこそ、定石学習が生きてくるのです。その意味で、定石選択問題によるトレーニングはかなりの効果が期待できます。

「定石は覚えて忘れよ」は高段者向け


 私が定石の細かい変化を研究したのは高目です。四段頃から厚みや模様の碁に憧れを抱くようになったからです。目ハズシ定石に比べて変化が少ないという計算もありました。高目作戦は、自分の棋風を厚みの碁に変え、力をつけるということに役立ちました。

 実際、互先以下の相手に高目は大いに効果を発揮しました。でも、自分が二子置く相手には軽くいなされ、三子置く相手には逆に高目を打たれて苦戦をしました。

 その後、高目に飽きてきた私は中国流に魅力を感じました。中国流には通常の意味での定石はないに等しいといってよいでしょう。中国流に対するカカリは打ち込みの感覚に近く、それを避けての逆方向からのカカリも、辺から中央への戦いとなります。中国流は私の定石離れのきっかけとなった作戦で、全局的な視野を徐々に獲得していくスタートラインにようやく立ちました。

定石を知らない(?)一流プロ

 定石についてプロに尋ねると、「覚える必要がない」という答えが多いようです。かつて宇宙流で一世を風靡した武宮正樹九段はテレビで、自分が定石を知らないことを自慢するがごとく語ったことがあります。

 小林覚九段の解説会でも私は同様の場面に遭遇しました。覚九段が実戦解説の変化図を並べているとき、聞き手の女流棋士に自分の作った図を、これは定石かと尋ねたのです。

 女流棋士「定石になっているようです」
 小林九段「僕は定石をあまり知らないので…」

 そのときの九段の顔が、気のせいか私には「定石は覚えてもあまり意味がない」と言っているように見えました。最前列で見ていたのでよく覚えています。

 「定石は覚えて忘れよ」
 この囲碁格言は、数ある中でもトップクラスのレベルの高い教えです。「忘れろ」といっても、もちろん完全に忘れ去れと言っているのではありません。ただし、中途半端に覚えているよりは、忘れてしまったほうがよいかもしれません。

 この格言の真意は、着手の選択において、定石などの先入観を持たず、白紙の状態で盤面全体を見つめて考えよ、常識を疑え、ということです。

 そんなことを言われても、高段者でもなかなかできる芸当ではありません。しかしそれでも、いったん知識を棚上げにしておいて、自分の考えや感覚で着手を発見し、自分の碁を打ってみることは棋力の飛躍のために必要です。たとえそれが悪手であったとしても、失敗から学ぶものは大きいはずです。借り物の知識で打った碁では、失敗から学ぶものは少ないでしょう。

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